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Vol.3 男性でもきれいな姿で!性別にとらわれない生き方を。

ひろみ/Hiromi

PROFILE ≫

74歳。東京生まれ。現在は京都在住。

セクシャリティはQ(クエスチョニング)。MtF で、レズビアンなのかな?と思うこともあり、確立していない。裕福な家庭に育ち、両親が「自由放任主義」だったこともあり、学校には行かず、学びたいことは図書館に行って学ぶなど、自由に暮らしていた。4歳ごろから、遊ぶ相手が男の子ではなく女の子が多いことに対し、違和感を抱く。9歳で丸山明宏さん(現在の美輪明宏さん)を知り、男性という枠から抜け出した生き方を始める。

《 MENU 
  1. ある有名人を見て人生が確立していく
  2. 自由放任主義の両親の教え
  3. LGBTQという言葉のない時代での生活
  4. 女性との同棲、結婚、恋愛感情はない?
  5. 人生の転機は、作詞
  6. 他力本願で人生をどうにかしようなんて、甘い!自分の芯は自分で探すべき

 

 ①ある有名人を見て人生が確立していく

 

インタビュアー:「幼少期からLGBTQに触れるまでのひろみさんについて教えてください。」

 

ひろみさん:「自分には他の人と絶対的に違う面があるということは、早くから気づいていましたね。4歳ごろから遊ぶ相手が女の子ばかりで、男の子と遊ぶことがありませんでした。当時、丸山明宏さん(現在の美輪明宏さん)が男性なのに女性のようにきれいな姿で歌っているのを見て、自分にも同じような雰囲気を感じ、そこから私の人生が確立しだしました。

 

インタビュアー:「幼少期はどんな人だったのですか?」

 

ひろみさん:「同級生の女の子たちとよくお砂遊びやおままごとをしていました。その中で、会話をするんですけど、私が大人のするような話をするので、同級生たちはきょとんとしていました。そのときに、妙なことは言わない方がいいなと感じましたね。」

 

インタビュアー:「大人のような話というのはどのような事ですか?」

 

ひろみさん:「人を好きになって恋をするとか、愛はこうだとか言う話です。したかったんだけど、全然できなかったので会話をしなくなっちゃいました。」

 

②自由放任主義の両親からの教え

 

インタビュアー:「幼少期からすごく大人びていたのですね。その時は、まわりの目を気にすることはなかったのですか?」

 

ひろみさん:「いや、両親に人のことは気にするなと言われてきて、人は人、自分は自分という感じで育ってきましたので、あまり気にすることはなかったです。」

 

インタビュアー:「とてもいい考え方ですね。ご両親はどのような方々だったのですか?」

 

ひろみさん:「んー、誰かが持っているものをうらやましがったりしてはいけない、欲しいと思うものは、自分で手に入れる方法を考えなさいということをよく言われましたね。でも、厳しいわけではなく、すごくかわいがってくれて、周りから見ると甘やかしすぎと思われるぐらいだったと思います。」

 

インタビュアー:「そのご両親の放任主義の教育をうけて、よかったと思うことはありますか?」

 

ひろみさん:「まあ、自分がしたいことをして生きてきたわけですから、自分の意志を拘束されることがとても嫌だったので、ずっと自由に何でもしてきましたし、だからと言って、あれがほしいとかそういう駄々をこねることはなかったです。なので、悪かったと思うことがないです。ずっと満足して生きてきているので。」

 

 ③LGBTQという言葉のない時代での生活

 

インタビュアー:「それでは、自分がLGBTQのQに当てはまると知るきっかけについて教えてください。」

 

ひろみさん:「LGBTQという言葉については、ずいぶん大人になってから知りました。言葉は知らなくても、ずっと私の周りにはLGBTQの人が多くいたわけで、そのせいか自分が何者なのかについて特に意識することがなかったですね。」

 

インタビュアー:「まわりのLGBTQの人というのは、どのようなつながりですか?」

 

ひろみさん:「夜の世界ですね。バーとかスナックとかです。働くというよりかは、カクテルを作ったりとかをやらせてもらったという感じですね。まあ、そこで友達らしい友達ができたというわけではないのですが、知り合いが増えたんですよ。今言われているLGBTQに当てはまるような方が全て顔見知り程度でできましたね。」

 

インタビュアー:「なるほど。これまでの話を聞くと、自分の性のことについてあまり気にしないで生活していたように感じますが、嫌だなと思うときはありましたか?」

 

ひろみさん:「全くないですね、結構器用に生きてきたと思います。人に男女(おとこおんな)とか言われることもなかったし、私は、男性よりも女性の友達や知り合いの方が多くいるのですが、その女性の方々の中で、私のことを女性とみる人も男性とみる人もいて、私はそれぞれに合わせることができていたので問題なかったです。」

 

④女性との同棲、結婚、恋愛感情はない?

 

インタビュアー:「幼少期から変わらず、女性との関わりの方が多いのですね。では、男性よりも女性の友達の方が自分を出すことができたという感じですか?」

 

ひろみさん:「そうですね。色んな人と多方面にお付き合いがあったのですが、やはり男の方との付き合いはほとんどなくて、、、。男性の方とお話をするときは、男性の口調になって、女性とお話をするときは、自分も女性の口調になるんです。女性と話をするときのほうが親近感がありました。友達の女性と同棲をすることも結構ありましたし。他の人には、あいつは次々女を変えている、なんであんなにモテるんだ!といわれたけど、友達として同棲したわけであって、恋愛対象としてではなかったんです。」

 

インタビュアー:「そうなんですね。恋愛感情はなかったのですか?」

 

ひろみさん:「男性には全くないです。女性にも特にかわいいなと思うぐらいです。ですが、今は女性と結婚していて、いわゆる嫁さんがいるんですが、私のことを女性としてみている人は私の配偶者を旦那さんと呼んでいたりします。すごく特殊ですよね。(笑)まあ、それで精神的に悩むこともなかったんですけど。(笑)」

 

インタビュアー:「カミングアウトをすることもなかったのですか?」

 

ひろみさん:「カミングアウトをする必要はなかったですね。恰好が男性でも、心は女性なんでしょという風に周りは気づいてくれていたので。

 

 ⑤人生の転機は、作詞

 

インタビュアー:「それでは、ひろみさんの人生の転機について教えてください。」

 

ひろみさん:「作詞ですね。10代のころは自分が楽しんだり周りの人に見せて感想を言い合ったりするためにやってたんですけど、3年前にある劇団の人に出会って、変わりました。この人なら気が合いそうだなと思い、その劇団に入って作詞をするようになりました。今では相方になって、作曲をしてくれています。」

 

インタビュアー:「作詞を始めたきっかけはどのような事ですか?」

 

ひろみさん:「丸山明宏さん(現在の美輪明宏さん)を知って、自己主張ができるすばらしさを知りました。こういう素敵な生き方があるんだな、男性でもきれいに見せるというような、変わった歌い方をするなとか、その思いを何かに書こうかなと思ったのが最初ですね。」

 

インタビュアー:「作詞は自分を完全に表現できるもので、人生においてとても大切なものになっているということですね。」

 

ひろみさん:「そうですね。今から何十年も前の出来事が自分の中にすごく大きな影響があったんだと思います。

 

インタビュアー:「それでは、LGBTQについて行っている取り組みなどがありましたら教えてください。」

 

ひろみさん:「取り組みとしては何もしていませんが、作詞の中にたくさん想いを入れるようにしています。たくさんの人に聞いてほしいです。」

 

⑥他力本願で人生をどうにかしようなんて、甘い!自分の芯は自分で探すべき

 

インタビュアー:「最後に、この記事を読んでいる方、LGBTQについて悩んでいる方にメッセージをお願いします。」

 

ひろみさん:「みんなそれぞれ生き方があるんだから、相談に乗ることは大切ですけど、自分の意見を押しつけてしまってはいけないと思います。突き放しているわけではないですけど、やっぱり自分自身で決めることが一番です。当事者で不安がある人は、何かに頼りたいと思うと思うけど、他力本願で自分の人生をどうにかしようとしてはいけないです。それは甘えです。相談に乗ってもらったりアドバイスをもらったりして、すべてそのアドバイス通りにするのではなく、そのことをヒントにして、自分で解決していくことがいい方向へ進むための方法だと私は思いますね。人間には絶対に強い芯があるので、それを自分で探していくべきです。

 

 

小さい頃から大人びていたというひろみさん。オンラインに苦戦しながらも、現在の学生では味わえないような人生経験を語っていただきました。

インタビューを受けていただき、ありがとうございました。

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